シヴィペディア

文明の発展を切り口にいろいろ調べて書き綴ります

かつて神戸に存在した巨大財閥 鈴木商店の隆盛 (創業辺)

かつて三菱や三井にも引けを取らない大財閥が神戸に存在ました。その名は「鈴木商店」一見すると個人商店のような名前に思えるかもしれませんが、最盛期には日本のGNPの1割が鈴木商店の売り上げだったと言われるほどの巨大財閥です。しかしながら今は鈴木商店の登記簿が残るだけで、今は跡形もありません。この鈴木商店の隆盛にロマンを感じざるを得ない筆者は、改めてこの鈴木商店に迫るべくここに書き残したいと思います。

 

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鈴木商店記念館より

 

鈴木商店とは

鈴木商店とはかつて、神戸に存在した巨大財閥です。砂糖の取引から始まり、その後台湾の併合から樟脳、樟脳油の取引で業績を伸ばし、様々なM&Aを実施することで軽工業、重工業にも手を出し日本のトップ財閥にまで上り詰めた企業です。第一次世界大戦では鈴木商店の飛躍期であり、スエズ運河を通る一割の船は鈴木の船であったともいわれ、また第一次世界大戦中の塹壕に使われた土嚢は鈴木の印がついた麻袋だったともいわれています。このように世界を股に掛けた鈴木ですが、その後忽然と姿を消してしまいます。鈴木の傘下に置いた企業は現在でもたくさん残っており、神戸製鋼所帝人をはじめ様々な会社が鈴木の傘下にあった企業です。

 

岩次郎による鈴木の創立

鈴木商店はその店主たる鈴木岩次郎が大阪の商人からあった店の神戸支店を引き継いだことから始まります。居留地外国人に対するビジネス、そして石油に着目したビジネスにより鈴木商店は神戸八大商人の一つとして数えられるまで成長します。しかし、岩次郎が52の時に急逝してしまいました。この後を引き継いだのが岩次郎の妻である「よね婦人」です。

 

金子直吉鈴木商店との出会いと番頭への昇格

ところで、その後、鈴木商店の繁栄を築いたのは金子直吉と呼ばれる番頭です。金子は、現在の高知県で生まれるものの家が没落し幼くして丁稚奉公に出ます。性格としては、誰かのもとで働くのは苦手だったが、仕事は生真面目であったと言われています。そんな金子はその生真面目さが評価され鈴木商店での柳田富士松に紹介され鈴木商店で奉公するに至ります。

 

金子の失敗と鈴木への忠誠

鈴木よね婦人に鈴木が引き継がれてから、金子は樟脳の取引で大失敗を犯します。樟脳とはセルロイドや火薬の原料ともなる重要な素材です。当時、金子は樟脳の重要性にいち早く気づいておりこれをもってして莫大な利益を上げんとするも、イギリス人の樟脳の買い占めと取引期が重なり、仕入れ価格が高騰、結果取引のための樟脳を用意することはできませんでした。腹切り覚悟で取引相手と交渉をする金子に対して、よね婦人は厳しくとがめはしなかったと言われています。よね婦人がこのころどういった心境で経営をしていたのか定かではありませんが、金子直吉の商才を見抜いていたうえでの処遇なのでしょう。以降、金子は鈴木へ大きな忠誠を尽くして奉公していきます。

 

まとめ

鈴木商店をその後飛躍させていく、金子に対して焦点を合わせて本記事を終わりたいと思います。次回はどのような商機をつかんで飛躍していったのかクローズアップしていきたいと思います。

 

 

 

民族の団結を促すもの

昨今のミャンマー情勢しかり、アメリカ合衆国での人種差別しかり、同一国家内であっても人間同士の摩擦が絶えず発生しています。このような摩擦の行きつくところは昔の日本のような戦国時代みたいな混乱期ではないかと筆者は思います。誰しも住んでる国が平和で安定であるに越したことはないはずです。筆者は安定と平和には人間同士の協力と団結が必要であると考えます。その団結や協力を、促すものって何があるのでしょうか?ここではそう言った問いについてまとめてみました。

 

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そもそも霊長類が形成できるコミュニティーとは

まず、民族が協同できる概念を述べる前にそもそも霊長類ではどのくらいのコミュニティーが営めるのか確認しておくべきでしょう。自然環境研究センターの「猿の生態と管理」によるとニホンザルの群れは数十頭から百頭ほどになると示されています。自然界ではどんなに大きくてもコミュニティーとして百頭までしか形成できないということです。それに対して人間は、巨大な社会を形成しコミュニティーを形成しているわけですね。これを可能にしたのは一体何なのかを改めて認識したいです。

神話

神話は同じ文化圏に属する人々の倫理観や規律、団結をもたらす最も古い概念ではないでしょうか。日本であれば日本書紀古事記などがそれにあたるでしょう。

哲学や倫理学が発達する以前の世界では神話に基づいて人々に道理を納得させてきたという側面があります。それは今日の科学による道理ではなく超自然的な存在や神の存在によってもたらされてきました。 

国家

現代において、個人への生殺与奪の権利が合法的に認められており、さらに最も身近な存在なのが国という存在ではないでしょうか。大規模な紛争の主体ともなるのもこの枠組みでしょう。国家の成り立ちは国ごとに異なっており、独自の建国神話が成り立っております。その神話に納得して人々は国に所属しているという見方もできます。

異なる人間同士が同一の目標に向かうという組織体

異なる人間同士を一つの目標に束ねあげるという意味で一番身近なのは現代では株式会社ではないでしょうか?一つの大きなオペレーションを実行するうえでいくつもの人間が分散してお金を出し合い、また異なる技能を持った人間が共同してオペレーション達成に向けて行動するという意味で協力を促しています。その最終成果物を分配するという仕組みがなければこのような協同はできないでしょう。

愚痴や噂話

結構、小さいコミュニティーですと他人の愚痴や噂話というのも友人関係をつなぎ留めている部分はないでしょうか?噂話というものをここに入れたのも根も葉もない噂で盛り上がって変な方向に団結しちゃう事例(例えば風評被害)が昨今多発していると感じるのでここに入れました。

イデオロギー

自由、民主主主義、社会主義、これらイデオロギーも人々の所属している国家への参画方法や富の分配の仕方などこれらの考えが支柱となってお人々の連携を促したり研究されたり政治方法として活用されていたりします。

 

協同するための虚構は相手側から見れば敵になりうる

これまで列挙した虚構は対立を生み出すものそのものだったりしません?書いてる途中で思ったわけです。対立を生み出す虚構そのものもであったりするなぁと。現代でも企業vs個人であったり独裁vs民主というイデオロギーの軸で議論されている媒体や記事も多いと感じます。

 

 

 参考:サピエンス全史(上巻

   楽しく学ぶ倫理学

   猿の生態と管理

 

 

 

バブルの対象となったモノたち

一攫千金してFIre!!!いやぁ、憧れちゃいますね。わたしも仕事辞めれるなら辞めたい👀。しかし、自分が身銭を切るのが投機対象だと一文無しになってしまう可能性もあるわけです。しかもその投機対象というのは有史以来いろいろなモノが成り得たんですね。

ギリシャの哲人タレス天文学でオリーブの豊作を予期し圧搾機械を借り占め、他人にさらに貸し出すことで利益を得たのもその一例でしょう。投機対象になったモノには本当に利益を生まないモノまでが対象となっていました。ここではその対象となった対象物たちを列挙してみました。

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チューリップ (オランダ

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部隊は17世紀のオランダ。当時オランダはヨーロッパ経済の中心地でした。なぜにここでチューリップバブルが生じたのかというと、チューリップの取引が可能だったからわけですが、それだけでなくチューリップ以外にも株式会社(東インド会社)の株、穀物や香料などの商品などありとあらゆるものが取引できるようになっていたのですね。有史始まって以来にバブルが発生しやすい土壌が整っていたと言えます。

当時チューリップは希少性のある植物で富の象徴とも言われていました。バブルでの価格の上昇は3週間で60倍ほどにも上がりました。

奴隷貿易会社の株 (イギリス

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奴隷貿易を生業としていた南海会社は本業が振るわず、国債引き受け会社となっていましたが、それが急成長し株価もわずか数か月で10倍ほどにあがりました。丁度、市場も資金の運用先を求めてダブついていたのもあり、瞬く間に株価は上昇していったのです。ちなみに、南海会社の事件をきっかけに初めての監査報告書が提出され監査制度が設立されるきっかけとなります。

土地 (日本

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戦後日本においては、土地は永遠に上がり続けるという神話が存在しました。2021年の現在では考えられないですね。。そんな土地神話と中曽根税制改革による減税政策によって潤沢な資金が土地に流れ込みます。その凄さは日本の企業がアメリカの土地を買いまくるというほどです。

ウサギ (日本

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1880年代の日本ではウサギが投機の対象となっていました。外来の愛玩動物として富裕層の購入がブームの火付け役となりました。飼育して増やそうとする業者もあまた流れこみます。バブルは兎税の導入によって終焉します。(人間のエゴを感じますね(;´Д`)...

IT企業の株

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2000年代のインターネット企業の株価を中心に買いが買いを読んだこのバブル、何かの本で読みましたが、「.com」という文字が付いた会社を作るだけで派手に株価が爆上げしたと聞いています。この時多数のIT企業が淘汰され、生き残ったのはgoogleamazonなどの裏打ちされた会社が生き残ったわけです。

仮想通貨

最近流行りのbitcoinや、イーサリアムなどですね。筆者の知る限りでは2017年のバブルがかなり印象的です。バブルと言えば一度はじけちゃえば、もう流行の対象とならない印象がありますが仮想通貨については2017年のバブルが終わっても、再び2021年にバブルが発生しています。仮想通貨の流行にうまく乗って一財産築けた人も多いのではないでしょうか。

まとめ

まっとうなビジネスとは何なのかと思わせるものがいくつもありますね。そもそも健全な投資と、投機を区別するものとは何なのでしょう。これだけで本が作れちゃいそうなので本記事では深入りしませんが、社会を良くするにあたって、そしてビジネスをするにあたってよくよく考えていきたいですね。

今夏登場の 文明育成ゲーム humankind について

かつて繁栄を謳歌した文明ゲームと言えば

文明を発展させるゲームといえばcivilizationを思いつく読者は多いのではないでしょうか?civilizationと言えば、世界の著名な文明から一つをチョイスし外交、戦争、宇宙開発を目指して勝利を獲得します。今は死後かもしれませんが「あと一ターンだけ」という名言を残したゲームです。

筆者も結構はまってたのでが、だんだんと運ゲーの要素が目に付くようになり、そこまで長期的にドはまりするというほどにはなりませんでした。とくに、civ4なんかは最初のスタート地域で文明の発展度が雲泥の差に広がっちゃうところに、「いくら腕を上げたところで.....」っていう印象を抱きがちになり次第に遊ばなくなってしまいました。最近のciv6はどうなのかちょっとわかりません。すみません、、、、

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新しい4Xゲーム「humankind」

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さて、そんな筆者が再び文明を発展させるゲームで遊びたいなと思った矢先、こんなゲームが今夏発売されるじゃありませんか。タイトルは「humankind」、、、、「civilization」と同様凄いシンプルかつでかいですよね。本来は2021年の4月に発売予定だったところを8月に延期した模様です。筆者はこのゲーム、結構気にしており遊んでみたいなと思っているんですね。そこで、この記事でどういう点が気になるのか列挙してみました。

 

グラフィックがきれい(筆者好み

いきなり、ありきたりな理由ですみません。ですが、開発中のトレーラーを見て一番最初に引き付けられたのがグラフィックだったのです。筆者は結構グラフィックにこだわりを持ってゲームを選んでます。やっぱきれいなゲームは没入しやすいと思うのですね。「humankind」のグラフィックはいい具合に現実世界の地形や街の発展度をデフォルメしていて好みなんです。以下参考にどうぞ。。

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こういう美麗な空間で文明を発展させるのはやりがいを感じるだろうなぁと勝手に感想を抱いちゃっています。

文明のスタートガチャが抑えられている可能性

www.youtube.com

日本人の方で、「humankind」のoprndev(テストプレイヤーを募って意見集めしている)に参加されている方が動画をあげられていました。最初の都市は、文明建設へのキーアイテムを手に入れながら、それをコンプリートしたら建設するというものです。ともすると、これは近場に有効な資源がない、あるいは拡張できる土地が狭いなどという理由でプレイ継続を断念させるような要素が少なくなったと言えるのではないでしょうか。もっといえば、プレイヤー側にある程度の裁量権が認められていそうです。

 

定住地域と時代の進化によって自分文明の選択権が与えられる

このゲームでは、最初から型にはまった文明を選ぶわけではなく、時代の進化とともにモデルとなった実在文明の文化を取り入れることで発展していく模様です。ここからは妄想ですが、自分の定住地域、そして隣り合う文明との相性、突入する時代によって有利な文明モデルを選ぶことでプレイを有利にすることが出来そうです。もちろんそれは他の文明を操るプレイヤーも同じだと思われますが、そこはどうバランスを取っているのか気になるところ。

また、上記のプレイ動画を見た感じ経済システムはcivlizationと似たようなシステムとなっている模様です。つまり都市に定住している市民を資源タイルの上へ働かせて資源を採取するという具合です。

 

戦争もある程度の裁量権が認められている

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このゲームでは戦争はミニゲームの様相を呈しており、将棋やチェスみたいな感じで戦争が進行していくようです。プレイしてないので何ともですが、これも大量のスタックを積み上げて物量で殴るというスタイルではなさそうである程度スマートな采配が求められる気配がしますね。

 

徹底してプレイヤーに裁量を認めるゲームに

出回っている情報を鑑みますと、徹底してプレイヤーに裁量を認めたゲームという印象を持ちました。この手の4xゲームは、ゲームが進行してプレイヤーが詰む状態を予想して遊ばなくなってしまうケースが多いのではないかと感じますが、humankindは徹底してプレイヤーのゲームの投げ出し投了を防ぐ配慮がなされていると感じました。

 

面白そう

opendevにも参加していないので偉そうなことは呟けませんが、筆者は以上の点を踏まえて期待をもってこのゲームを今夏遊んでみたいなと感じました。コロナもまだまだ落ち着かないでしょうから家に引きこもって熱中するにはいい遊び相手だと思います。

数学の応用としての造船

皆さん!数学は勉強されていますか!?私は絶賛数学勉強中です!

モチベーションの湧かない方は何でこんな勉強するのと思われるやもしれませんね!もちろん、この世の大半のお仕事でがちがちの数学を利用することはそうそうないかもしれません。ですが数学があって成り立っているものもいっぱいあるということは知っておいたほうが良いかもしれません。その一つはヨーロッパの覇権に貢献した船への応用例でしょう。

 

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新大陸の発見とベンチャービジネスの隆盛と数学的実践者の登場

イギリスは16~17世紀のロンドンでは船を活用したビジネスが盛んで、これを成し遂げまいと大学で幾何学天文学を勉強する人たちが大勢いました。彼らはこぞって、当時登場したての数学を勉強し、ビジネス参加者の家庭教師をしたり、あるいはアドバイザーにならんとして勉強していました。

 

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そしてその中から造船の現場で数学を活用する人たちが現れます。船大工マシュー・ベイカーです。彼が登場する前の造船は図面を描くことなく、勘と経験で船を作っていました。

イカーはそれまでの現場で行われていた設計と製造を完全に分離しました。そして紙面上で船の図形を媒介とし算数の計算や幾何学上の問題を解いてみせ、それまでの造船において発見しえなかった諸問題を見つけ、現場の製造に応用したのです。

 この時点ではまだまだ船の安定性に寄与する数学理論は造船現場に持ち込まれていません。しかしながら設計と製造が分離し紙面上で船に関する計算が出来るようになったという点では特筆すべき先駆けといえるでしょう。

17世紀の船の役割と状況

ところで、16,17世紀になると船に対していろいろな要求や要請が出てきます。

当時の船でも大砲が積めたり、いろいろ役割をこなせる船だったけれども、さらなる強力な大砲、積載量の増加の要請や過酷な環境での安定性には応えることが難しくなってきました。

無理に武装を強力化しようとした例としてスェーデン海軍が建造したヴァーサ号事件があります。この船は処女航海でバランスを崩してしまい沈没してしまいます。船の安定性を確保するバラストに対して巨大な大砲を船の上部に配置したため重心が上に移ってしまい、結果として不安定になり沈没したと言われています。

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引き上げられたヴァーサ号

このような事件もあった当時の船舶事情ですが、国や社会としてはビジネスや国力増進のため、また植民地ビジネスを進めるために船への要求がどんどんエスカレートしていきます。

。具体的には以下の通り。

・どの国にも負けないほどたくさん大砲を積みたい

・人間を安全に積みたい

・大西洋の航路が出来たのでもっと過酷な環境でも耐える船にしてほしい

・省力化をしたい

 

などなどです。これらを解決するにはヴァーサ号の事件の下りにもあるように船への安定度の向上が何よりも必要だったでしょう。

 

18世紀に活躍した数学者たち

この要求の元18世紀にはいろいろな数学者が復元性に関する書物で残しています。ピエール・ブーゲ、レオンハルト・オイラー、ダニエル・ベルヌーイらです。

ピエール・ブーゲはメタセンターという船舶上の概念と計算方法を発見し、それを「Traité du navire, de sa construction et de ses mouvemens」で述べています。メタセンターとは「傾心」とも呼ばれ、重心との位置関係次第で船の安定度を左右する中心点のことです。

レオンハルト・オイラーも造船学書を書いています。浮体の釣り合う状態の定義から始まり、復元性について述べた書物でした。

ダニエル・ベルヌーイはブーケやオイラーの著作の論証を用いながら、有限な傾斜角による船舶の復元性について考察を行っています。

 

これらの著名な数学者が初期の造船学に出てくるというのは思いがけないなと思った次第です。それだけ、当時は国を挙げて船舶の改良、開発に躍起になっており、また旧来の船大工による造船による問題点を解消したいという要請もあったのでしょう。ブーケに至っては上記の書物で経験に基づく当時の造船現場へ理論を提供せしめんという動機もあったと記しています。

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以降、造船業は船大工たちの勘と経験による製造から解放され、様々な理論の元作られるようになった結果、造られていく船は安定度を増し巨大な戦列艦や貨物船が登場し欧州諸国の覇権の担い手となっていきました。ヴァーサ号のような事件も起こっていません。(強いて言えば日本の友鶴事件がそれにあたるでしょうか。。。

 

現代にも残る当時の戦列艦

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当時の造船技術の成果として筆者はイギリスの一等戦列艦、ヴィクトリー号が挙げられるのではないかと考えます。何度もの戦役(有名なネルソン提督指揮下のトラファルガーの戦いも含めて)を潜り抜け、現在もイギリス海軍の現役として残っています。ヴィクトリー号は日本の戦艦三笠のような位置づけなため、イギリス国民の関心と献身的な保存活動も相まっているのでしょうが、それを差し引いてもその堅牢性は当時の造船技術の数学による飛躍化の成果ではないでしょうか。

まとめ

数百年前は船の運航や造船が最新技術や数学の知見の運用先でした。また、船の運航や造船で金を稼ごうという人たちもいっぱい居て、それに呼応して数学を勉強する人たちが増えたという時代でもありました。今のAI、機械学習ブームにも似ていますね!数学が古くから産業や国の覇権に根深く携わっていることを把握してくれたら幸いです。

 

参考文献

船 舶 復 原 性 理 論 の 展 開

16 世紀末−17 世紀初頭の英国の造船における数学の導入

 数学の実用的使用の発展

会計技術が発展して日本に流れ着くまでの歴史

当方、21世紀の極東の事業会社で経理しているマンです。毎月毎月の経理業務に疲れちゃいました。こんなんして何が楽しいん??

しかし、経理に及ばず会計という世界はその壮大な成り立ちの上にたっていることをここ最近に知りました。図らずとも中々重要な役割を仰せつかっているのだなと思えた次第です。

そこで唐突ですが、会計をめぐる歴史を調べてここに書き綴りました。

 

 

始まりはメソポタミア

 

最初の会計記録(以下帳簿)は今から7000年前のメソポタミアで発見されました。当初は作物が余っているのか少ないのか判断するための書物でありもっぱら、お金を記録したものではありませんでした。

また、複式簿記が誕生するのは1400年代のルネッサンス時代となります。それまで人類は家計簿みたいな単純な記録(単式簿記は会計史では複式簿記の簡易形式なのでもっと後時代の言葉だとここで知りました)を採用していたことになります。また、数字はアラビア数字ではないので非常に作るのがめんどくさそうです。

 

すまん、アラビア数字を使っているけど十分今でもめんどくさいんだ。。

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シュメール人 目が大きいね!

その後、メソポタミアでは商業が発展し貨幣はもちろん、銀行、売掛金、小切手など現在の商取引には欠かせない概念が既に出来上がっていきました。メソポタミア文明凄いですね。。。ただしこれだけの発展した概念を家計簿みたいな帳簿で記録するとなると大変でしょうね。余談ですが、当時すでにゼロの概念があったとされており、これも帳簿づくりに一役買っていそうです。

 

帳簿を作っている人ですが、文字が読めない人が多く帳簿を管理する人は位の高い政府高官たちが帳簿づくりに励んでいました。

 

時代は流れてローマ時代に

 

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ローマ帝国では皇帝も金銭取引したという文献が出てきます。それを記したのが「The Deeds of the Divine Augustus 」です。文献によるとアウグストゥス帝の民衆への分配金、土地の付与、神殿の建設、退役軍人への寄付、宗教的な供物、芝居や剣闘士への支出などが記されていました。現代的な帳簿組織とは言えずとも金銭の支出を扱った書物ということで広い意味で帳簿とみなすことが出来そうです。

 

ローマにおいても小切手、抵当権、当座預金などの概念が存在しており支払指示書という文書もありました。分割返済が行われる場合、現代で言う得意先元帳を使用して債権の管理に充てていました。また年一で債権債務一覧表というものを作っていました。この時点で年一での決算スケジュールが出来上がっていたようです。

 

ローマ時代になると高度に教育された奴隷が帳簿の記帳を行っていました。(社畜みたいですね)それだけローマは文字の普及がなされていたのですね。またローマ時代に複式簿記の萌芽があったとする説もあるようです。

 

 

概観してみると、どちらも高度で複雑な社会を構築した文明です。

 

「複雑な社会構造を陰から支えているところに帳簿あり」といったところでしょうか。

でなければ意思決定、徴税などをどうやって実施するか徴税される側にも納得の資料作りが必要になるわけですしね。

 

 

既に優れた商取引が発達していたにも関わらず複式簿記は生まれなかった

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また、充分高度な文明を持っていたにも関わらず複式簿記は現れていません。これはゼロが発明されていないからだと言われています。ゼロが生まれるのは5世紀ごろのインドです。

ゼロの概念がないのにどうやって貸借一致するという状態が生まれるのでしょう。ゼロがなければこういった複式簿記で成り立つ原理原則が誕生しないことになりそうです。



 

ルネサンス時代で複式簿記は誕生f:id:johannesrome:20210426191956j:plain

ルカ・パチョーリ複式簿記の理論化・体系化をなしとげるわけですが、それまでに時代や文明もいろいろな変遷を経て複式簿記が受け入れられる土壌が生まれるわけです。その具体的な変遷の一つには上記に挙げたゼロとアラビア数字の導入と普及があります。

 

そして商業を担う組織も様変わりしたのです。それまでは家族経営で事足りてた組織形態も商会の形成によりさらに複雑化します。家族経営においては単純な山分けという分配で足りるかもしれませんが、大規模な商会ともなるとその人に見合う給与、商材の管理、出資した人や銀行出資の把握等これまでとは次元の違う複雑な概念を扱わなければなりません。そうした要請からも複式簿記を普及たらしめる土壌が出来上がってきたと言えるでしょう。

 

また、商業組織のオーナーではなく徐々に使用人による帳簿づくりが主流として定着するようになります。赤の他人による会計を代理人会計と呼びます。代理人会計の歴史は古く、上記でも記したようにローマ時代による奴隷の帳簿づくりがそれにあたります。

 

これらの土壌があり、理論化も相まって複式簿記が普及していったのですね。

 

産業革命時代

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産業革命期では諸々の制度が整いだし、いよいよ現代的な会計の様相を呈してきます。

様々な製造技術の発展に伴い、企業数も増加し、破産も多くなってききました。この背景もあり、会計士制度が導入されました。彼らは破産手続きや監査を主な業務としており今の公認会計士の業務とほぼ同じですね。

 

また、大規模な工場そして巨大な鉄道機構の出現、そして船舶の登場は減価償却という制度をもたらしました。機械の使用に伴って費用が発生するという会計上の概念ですね。これには機械は使用すれば使用するほど価値が低下するであろうという考えが背景にあります。

 

そのほか、貸借対照表損益計算書、また収益費用観という思想も生まれてきていよいよ現代的な制度が生まれつつあります。

 

 

 

日本への伝来

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日本に最初に上記の流れをくむ西洋の簿記システムを紹介したのは、福沢諭吉です。ここにも彼の活躍があったのですね。そのうえ、普及にも熱心で福沢は簿記学校も作りました。当時より国が推薦して洋式簿記を導入する前に商家ではいち早く洋式簿記に切り替わっていきました。これには和式簿記などの帳簿づくりの下地があったことも一役買っていそうです。

 

 

まとめ

洋式の簿記が日本に流れ着くまでこのような発展があったのは経理事務を行う身として心にとどめておきたいところです。

また、こうしてみると、社会や文明が複雑になるほど会計もまた発展してきているという流れもつかむことができました。

記事上は載せておりませんが、証券取引や投資業の発展によって時価会計の流れもまた生まれてきます。これもまた社会の要請に応じて会計もそれにこたえる形で発展していくのですね。

そういった意味では、今後、暗号資産やデジタルマネーなどの新しい技術は、また会計にも何かしらの影響を与えてくるのかもしれませんね。

 

 

 

参考 

club.chukyo-u.ac.jp

https://fremont.edu/history-of-accounting/ 

会計史 - Wikipedia

 

馬との関わり合い

最近、ウマ娘凄い流行っていますよね!皆さんはウマ娘やってますか??私はやってません!。馬は食べるものだと思ってるからです。(´~`)モグモグ

 

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食べてよし、乗ってよし、見てよし、蹴られてよし、さらには兵器としても活用されてきた馬ですが彼らはどのようにして我々、人類の身近な存在になってきたのでしょうか?だって、体は大きいし蹴られる可能性もあるのに良く手なずけようとしたと思いますよね?

 

まず、近代から現代での馬との関わりについて

現代において、馬は競走馬や農用馬の2つの用途として活用されています。競走馬はみなさんご存知、競馬で活用されている馬ですね。そして農用馬は農業に活用したり食肉用として活用される馬です。

近代にまで遡ると農用馬は非常に需要がおおせいで戦後すぐのころは100万近い農用馬が存在したようです。ちなみに私の母方の家は農家で馬を活用していたようで現在よりもかなり身近な存在だったようです。また、競馬や農用馬以外にも軍馬や運搬手段としての馬もかなり多く、自動車の発明以前は、まさしく馬が人間の産業を支えている側面もあったといえるでしょう。

そんな馬の人との関わり合いの歴史の研究は20世紀ごろに盛んに行われていたそうですが、今なお明瞭にわかっていないようです。その一員としては結構昔の骨が出土するものの家畜化された馬なのか野生の馬なのか判断しづらいためだそうです。ほかの家畜はこの野生化と家畜化された場合の骨の形状に差異が出るとのこと。例えば豚とか。

 

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最初に馬が家畜化されたと考えられているのは4000年代ほど前

骨でわからないのなら馬具が出てくるかどうかで判断できるじゃない。ということで一緒に馬具も出土してきた遺跡が見つかれば御の字です。

 

その最古の遺跡はウクライナのデレイフカ遺跡でこれが約4000年前とのこと。この遺跡から出土した馬の骨は食用の馬とは別に埋葬された形跡があり、また何かしらの馬具も一緒に出土していたため、これが一番古い家畜化された馬だと考えられています。しかしその用途ははっきりしないものでした。

というのも手綱らしきものは見つけたものの、これが騎乗用のものなのかあるいは牽引するためのものだったのかまではわかっていないからです。明らかな騎乗用の馬具、例えば口に挟ませる銜などはもっと後の時代になってから出土するためです。

 

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最初は騎乗じゃなくて食肉用だったんじゃないですかね。

ここからは筆者の妄想となりますが、いきなり野生の馬を乗りこなしたりあるいは生きたまま役畜させるのは難しいんじゃないでしょうかね。図体もでかいだろうし、逃げ足も速そうだし。役畜させるにも大人しい個体を長期間かけて手懐けさせたと思うのですよ。そこから交配させて繁殖させたのかどうかはわかりませんが。それから手懐けさせて時間がたってから騎乗にまで及んだんじゃないかなぁと妄想します。

 

ちなみに馬は事業に活用することが今でも出来るわけですが、観賞用、競争用なんかの用途によって減価償却できる生き物となります。ただ、その寿命を全うできる個体は結構少ないそうで中々世知辛いものを感じさせます。